| ・ 過去の記事(15) |
|
|
| カレンダー |
| 日 |
月 |
火 |
水 |
木 |
金 |
土 |
| - |
- |
- |
- |
- |
1 |
2 |
| 3 |
4 |
5 |
6 |
7 |
8 |
9 |
| 10 |
11 |
12 |
13 |
14 |
15 |
16 |
| 17 |
18 |
19 |
20 |
21 |
22 |
23 |
| 24 |
25 |
26 |
27 |
28 |
29 |
30 |
| 31 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
| |
| リンク |
|
|
|
|
サイト内検索 |
|
|
| ログイン |
|
|
|
| 遂に『通天閣』 |

新今宮辺り阿倍野に向かってJRの線路。その横を平行して道路からフワッと舞い上がり、平屋や二階建ての建物が並ぶ区画を眼下に何故か飛遊してるやん。 線路と家並みに挟まれた道路で飛んでるオレを必死で追いかけてくる女。 それを逃げるタメにオレは飛んでいる。 町並みの区画を眼下に入れながらスピードをその都度制御しながら、聳え立つ通天閣に向きを変えて飛行し始めたら突然制御の利かない早い加速で衝突しそうになった。あぁアカンぶつかる、危険を知らせるクラクションのような警笛。 ブンブンブンの音に目が覚めた。 枕元に置いていた携帯が鳴り出した。 「オッタン、何処で寝てるんですか?」
飛行する夢は珍しくないねんな。 スーパーマンとちゃうけど、そやけどその印象が大きく作用してんねんやろうが、片手をスーッと上に伸ばしたり、両手を伸ばしたら体が浮いて即、飛行に移れる。 で、突然ヒマラヤの峰々の上であったりアンデスの峰々の上であったり、現実に見たコトもない情景が展開していきまんねんな。
飛行したり、海の上を歩いたり走ったりの夢が頻繁にあって現実と妙に交差して妙な気分になりまんねんな。 或いは、あんなんもこんなんもと絶対うつつなら在りえようのない言わばブッサイクなおねえちゃんとまぐわってる夢や、隊列を導いて機動隊とか軍隊に突入する摩訶不思議な夢を毎日見てる訳やけど、この日は何故か飛行やった。
6月3日朝8時30分 ベッドを抜け出して階下に、すなわち街山荘の店に降りた。 「お早うございます。オッタン何処で寝てたんですか。」 姪は初めて我棲家に泊まった。 この棲家、以前は家族四人で棲んでいてまぁ広い。 店の二階。チョコッと複雑で初めてならその詳細が把握でけへんのは当り前。 「お早う。先ず珈琲を飲もうか。」 「時間は良いんですか。」
此処からチャリなら10分程度。タクシーなら半分か。 スーパーのビニール袋に小分けした140個の弁当を積み込むだけ、なら少し時間に余裕がある。 「あんなぁ、こんな夢見てん。」と夢の詳細を話して聞かした。 「オッタンてやっぱり変わってますね。ハハハッ」
チャリの荷台に本を詰め込んだダンボール箱を括りつけた。 良い天気だ。暑からず寒からず。タクシーは直ぐに拾えた。 日曜の朝、道路には車は少ない。 澄み切った?朝の風を切って松屋町筋をフルスピードで南下した。 予測通り姪を乗せたタクシーより早く通天閣の足元に着いてチャリを交番の前に止め置いた頃姪の乗ったタクシーが到着した。
観光地やんこれって、新装したような店ばっかり。 古くくすんでた町並み、与太った労務者が視点の定らまないまま屯していた通天閣界隈の以前の有様が蘇えらないほど何か取ってつけたような真新しさに時代の推移を感じながらタクシーの弁当を降ろし通天閣のエレベーターに入れて二階に上がった。
エレベーターを降りて中央に通天閣の展望台に行くエレベーターを右に折れると階段があってその上が3階の会場。 上がると直ぐに主催者の読売新聞記者の落合氏いた。 「ああ、ご苦労さんです。街山荘さんのコーナーはこちら。」 階段を上がって直ぐ左手、良い場所だ。長テーブルと椅子が一つ。その直ぐ奥が長男達が主催する教育サークル「はやし」のコーナー。 「おい、お前も手伝え」長男を呼び寄せ命じて一緒に2階のエレベーターまで戻って姪と三人で弁当を全て運んだ。
落合氏が「はい、これ僕等の分です」封筒に弁当50個分の代金。 「早速、皆に声をかけます。」落合氏が開場を巡り始めたのを潮に、姪に後は頼むぞとオレはチャリで一旦店に戻った。
店に戻ると直ぐに姪からメールが入り「弁当完売で〜す」 あらら、早速2個の弁当を増産。 落合氏からは130個の最終注文やったけど、別の人から電話で二つ注文があった。オレと姪のを入れて140もあれば充分なはず、が、完売。 オレと姪の弁当をあり合わせの惣菜をタッパ二つに詰め込み、お茶も用意した。 本を売る資料、主に写真。
燃え盛る山荘の、燃える前のドッシリとたたずむ山荘の、焼け跡で再建されていく逐次の写真と、製本手前の手繰り寄せたページを積み重ねた印刷の束をチャリの荷台に括りつけ再度、通天閣に向かった。
先ほどとは一変していてエレベーターは長蛇の列。 日曜日、観光地化された通天閣。朝から長蛇の列。 皆が皆、今日の『ほんまもの』に来ているとは思われへん。 オレは大阪人やのに通天閣に左程魅力は感じえへん。 通天閣だけてはなく、大阪城も、四天王寺も、行ったコトはないけどUSJに海遊館も然り。 つまり、大阪だけとちごうて何と言うかあくまでも人工的で観光地でってのがアカンねんな。単に客寄せのタメの薄っぺらモノが先に見えて覚めてしまう。 更にこの変ジジイは人が集まる所が嫌いときている。ほやから祭りなんてものにはてんで興味もあらへん。 天神祭りもまるで興味ナシ。 PL花火もどうでもよく、近くの愛染祭りに、生玉夏祭りも、あっそう勝手にやったらと、更にこの頃はテレビは一切見ない、新聞も断った、ラジオも聞かない、ネットでも自分に必要なものだけを検索するから、もう全然浮世離れしっぱなしで、世間話には殆どついて行かれへんねんな。
ただ何て言うか感性の豊かさ(自分で言うモンちゃうし)が浮ついた世情にも応用出来たり切り込んだり、大好きなおねえちゃん達とは自己流に巻き込んで仲良しになって、今ではそれが国際化してしもうてるねんな。 エエ男は万国共通と勝手に自惚れる始末、男性諸君から共闘の揶揄が降り注いだりもの場面も時にはあって、次々なぎ倒して行って?
何が言いたいかってとう、要するに人の群れが嫌いで都会がイヤで限りなく自然に近い場所で羆のように単独で居たい本能のようなものが周りを覚めた眼で見てしまうのかも。 その癖、人恋しい毎日といつも矛盾をはらんでたりして。
で、ですな。 エレベーターにやっとこさ乗れて街山荘のコーナーに辿り着くと「オッタン、本が一冊売れました。」と来た。 先ずもって、オレの本なぞ、オレを知ってるから買う訳で、物書きと自称しても世間では無名もエエとこやんか。それが何で直ぐ売れたん??? ま、エエか。 A4の失敗した印刷の裏の白紙のを横3枚、縦4枚をセロテープで繋いで一枚の大きい紙にして、太筆にたっぷり墨を吸い込ませ 日本一巨大ログハウス1999年12月16日全焼。たった一人再建に挑む全てを綴った書き下ろし大作。造るとは生きるとは。『オレは、やる』を、書きなぐってその日の看板にした。
売れる訳もないし、売れへんしと鼻から思ってるし、それよりも今夜はその出版パーティーやし、そこでは売れるしと、会場で日田すら製本に励んだ。 午後3時まで製本にこれ勤めた訳で、自分のコトだけに勤しんで会場に何がどんなモノが展開してるのか一考だにすることなく本作り。
「街山荘さんのPRもステージでして下さい。」 落合氏が来て言う。 えっ、そんなんあるねんや。そやけど、オレ、聴衆の前では上手く喋られへんし、まっエエかと、ステージに行くとパント末吉さんが大袈裟な着け唇ままサックスを吹いていて明石屋のんきさんがロックンロールを唄たってて、落合氏が二人に耳元で囁いて二人がオレの方を振り向いてニンマリ。 続いて司会役?の美形のおねえちゃんがカラカラっとオレを紹介するではないか、造りすぎかなと思う位に満面の笑みを湛えてマイクを握り一呼吸して座をおもむろに見てプロのそれを真似たまでは良かったのに、言葉、そやねん言葉は直ぐにスンナリ出てけえへん。
でも、うんうん勝手に頷いて笑顔をキープさせて間をもたして何か喋りましたな。何喋ったんやろ思い出せへん。 それ位揚がってて何か喋って、分かったコトは座がシラーっとしてたみたい。 受けなく惨めに終った、それが実感。
まっ、しゃぁないかと淡々としてついでに会場を一巡りした。 『ほんまもん』って何やろう。 そんなコトを考えながら一つ一つ見ていったが、不思議なコトに何も伝われへん。 ホンマにほんまもんを展示してるのにオレには何故か嘘臭いではなく、何処か胡散臭い。これは何でやろう。 ビンビン伝わってくる。 ほんまもんはエエモンって。 まかり通っているし堂々としてるし疑う余地を与えない威圧感。 これがどうもね。 NPOとかボランティアにも漂うあの匂い。 自分たちは正しいこれからもよろしくお願いしますとをやってるんやと言う胸を張った威圧するような清清しさがオレの中では異質の臭いものに感じてまう。
身を張る、命を賭ける。 切迫した研ぎ澄まされた何もが感じられなく、お祭り気分で身に危険もなく仲間と和気あいあい、どうもオレとは違う。 やってもやらんでもどうでもエエことを祭化してそれに参加したコトで免罪符なるものを身に付け日常の生活に躊躇なく戻って行ける人達の集団なんかな。
生活に心情を投影できない、しない日常を圧倒的多数に迎合して由とする愚かな心と幻想の人情を毎日の糧とする人々の多くを寂しく感じてしまう歪んだオレ??
有機無農薬の野菜。 それはそれで良いと思う。 そやけど何でやねん人参にも大根にも土が付いている。 わざとい感じが残んねんな。 そのくせ市価と比べると高いときた。 土を落とさず手間を省いて新聞紙なんかで包んで「ほんまもの」って売っている。どうも好きになれへん。 貧乏人には手が出ないし生産から流通に乗せるのに手間を省いて大きな顔をしている。 ならば、スーパーで出回っている中国産の野菜は安いしオレはそっちを選んでしまう。 中国産のモノが農薬や保存剤が多いからダメと世情の噂に、何言うてまんねん日本の野菜もどれだけ農薬がかかっているか信州木島平村で充分見てしまった。 庶民にとって安いというのは何よりも換えがたい。 もちろん、安かろう悪かろうは否定できない。 そやけど、無農薬有機、無添加を売り物にして高値をつけてるのにはどうも納得いかへん。貧乏人庶民には手が出ない、日本人は中産階級になったと幻想を抱かされそんなとこで気取っても実際には年々ホームレスが増えていき、低所得者は俄然いる。
『ほんまもん』は中産階級や金持ちだけのモノであって底辺とは結ばない。
種の保存の原則は強いものだけが生き残る。 植物も動物もその原則に従って弱いものは寄って集って排除抹殺されていく。
信州木島平村で約百派の鶏を飼って初めて分かった。 傷ついて弱った一羽に周りが果敢な攻撃を加え集団で抹殺しようとする。 これを現代の人間の一般的な倫理にはめるとキリストではないが迷える子羊を群より大切にせなアカンってのがそうやねん。 人間て何処まで矛盾しているんやろ。 表向きは貧しい人、弱者に手をと一応標語しながら強者が弱者、多数が少数を圧倒して白人が有色人種を殺戮する構図は今も続いている訳で、それこそ鶏の集団と変われへんコトを続けている。
しかし、 似たように見える現象も実は根底から違うんやな。 種の保存の本能が弱いものを抹殺する動物集団には利権が絡めへん。 支配と搾取と言う構図がない。 リーダは居てもリーダーは群れのタメにそれこそ命を体を張っていく。 人間は支配して被支配者に命の代償を求めて搾取、略奪極めは殺戮になる。
で、『ほんまもん』をもう一度思考に戻す。 ほんまもんに携わっているそして広めようと努力する中で、先に言ったように自分たちは正義をしているんやと言う姿勢が堂々と現れてくる。 ほんまものではない紛い物偽者を甘受せざるを得ない人達のコトに思いを寄せてはんねんやろかと、そこんとこがどうしても引っかかってくんねんな。
ビールは恵比寿、サントリーのモルツ、酒は純米の吟醸酒。 発泡酒、合成酒はアカンと分かっていても安いからどうしようもない。 ほんもの思考は今のままではやっぱり金持ち志向への傾向が勝っているようにも思われる。 もちろん、それには当事者からの強い異論反論もあるやろう。 通天閣を一巡しているとそれまでも思っていたコトに更に確信を得てしもうて。 やのにオレは今、その中の側に身を置いてしまって矛盾を感じへんのかと。 弁当の注文を取り寄せ売上が7万円。 ほんで安易にその中に入り込み、自作手製の本を売るオレ。 開き直り、達観して見せ迎合を意図も簡単にやっている。 自ら疑念を抱き場合によっては批判もする。その対照である中に居心地良く納まっているなんて最大の矛盾では、と、悶々としてるのかと、実は全然せんとアッケラカンとしてまんねんな。
オレはオレで、思考するコトも真剣やけど生きるというコトにも強かで果敢でどんなとこにも潜り込んで行けるんやな。 思いと現実の落差は確り掴んでいるつもりで笑顔を振りまいてる。 何処かに何かに隙を見出せば食い込んで入り込んで小さい世界でも自分の信じたモノに種の一つも残せればと思う。
全てを空ろに思いつつオレはオレを貫き通すんやと会場を一巡して、自分に与えられた場所で淡々と手製の本をそこで製作し続けた。
「へえっ、ここでも本を作ってまんのか。凄いですな。」 落合氏が感心してしばし見つめていた。
自称物書きと称しても街山荘に係わらなければオレが何であるかも誰も知れへんのにそれでも通天閣で『オレは、やる』のオレの本は10冊売れたんやな。 知った顔の人が半分で後は知らない人が買ってくれた。
隣の長男の処では、第10回 植村直己冒険賞を受賞したリヤカーマンこと永瀬忠志さん(50歳)の上映会が始まっている。 長男が来てるというコトは彼の娘二人も当然来ている。 年に何回かしか会わないのに懐いて寄って来るのが可愛い。 孫娘二人と長男と姪と久々に肉親の中で和んで、オレは通天閣を後にした。
午後三時、店に帰って今夜のパーティーの料理を続行するのだ。
アッコが三時頃来るというていたのもある。 結局、アッコは遅れて5時頃に来た。 てっちゃんが手伝いに来た後やった。
|
| 固定リンク |
トラックバック:0 | レス:1305
(2007/07/22(Sun) 18:46:27) |
| 続々6月3日通天閣・手製出版への道のり |
 
140個の弁当となると先ずご飯を大量に焚かねば。 ところが店にある炊飯器は精々6合が関の山。3升焚きの大型炊飯器はあるにはあるが、今は信州木島平村の現場の倉庫。
さて、どうするか。 ご近所さんの何処かにせめて1升は炊ける炊飯器がないかと、思案。 4人の男の子を育てたS女史は今はバーのママさん。 S女史は同じマンションの3階。バーを開業するまでは夜中までよく一緒に飲んだ仲やもん。 早速電話をした。 翌日、颯爽と、そう正しくいつもサッソウとしているなや。 バーのママは近年のことで古くからダンス教室をやっていてモダンダンス?創作バレー?を教えているからキュッと身が引き締まり背筋を伸ばして動きは颯爽としている。 黒いビニールのゴミ袋に炊飯器を包み颯爽として店に入ってきた。 「140個も大変やなぁ。ゴメンやで。時間があったらな、よしおちゃんを手伝いたいんやけど、ウチかって忙しいしな、ほんまゴメンやで。」 「何言うてんねんな。これ貸してもらうだけ大助かり。おおきにな。」
2日の昼から大小二つの炊飯器を稼動させた。 季節柄、たとえ一日前とは言えもしご飯がいたんだりしては大変や。といだ米に大匙一杯の酢をいれる。酢は殺菌力があってモノの腐敗を防ぐ。
嬉しくない結果が出た。 S女史から借りた炊飯器の調子が悪いのか、オレの水加減がダメなのか炊き上がったご飯に芯が残り上の部分はふやけた米状態。水を足し酒を加えて再加熱しても変わり映えせえへん。
諦めた。 この一升は後で何かに利用するとして、次は少し米を減らし水を増やして炊いた。それでもやっぱり上部のご飯に芯が残ってるやん。 アカン、これは多分炊飯器の火力が弱いんや。 えーい、ままよ。 自前の小型炊飯器をフル活動させたれと、焚けては次、焚けては次と粘った 炊き上がったご飯は直ぐに弁当箱に盛り付ける。 森の部屋のテーブルは昨日まで製本のタメ紙が秩序良くいっぱい並べられていたが一変して、弁当箱が並べられていった。
ご飯が炊き上がる間は9種類の料理に追われる。 鶏の唐揚、鯖の塩焼き、ブロッコリーと人参に玉葱を混ぜたポテトサラダ、具沢山の厚焼き玉子、切干大根と茎ワカメの酢の物、具沢山の糸コンペペ、菜の花のお浸し、煮物は高野豆腐に黒豆と干瓢で括った昆布巻。 以上の中にはオレの食への拘りをいっぱい詰め込んだ。
食の拘りの中に工場食品は極力避ける。 て、コトになると練り物はいけません。ソーセージに蒲鉾の類。 保存剤に凝固剤、着色剤に香料ときたもんだ。 畑では農薬に化学肥料。そんなのが頻繁に入った食肉用の牛、豚、鶏。 そこまでは選べないとしても、更に工場に入って様々な添加物を加えられた食品ってアカンでしょう 実態を知る由もないけど、アトピーの人が増えて行くのも、花粉症に泣く人が増えて行くのも、最悪は奇形児の出産の原因と、殆どがそこに寄与すると思うオレであって、可能な限り素材は素材のまま入手して自分で調理したいってのがオレの流儀。
更に、体へのより良いものをを選抜して摂取していくのも流儀。 ま 豆 ご 胡麻 わ ワカメ や 野菜 さ 魚 し 椎茸 い 芋
体に良いものの食材を「まごわやさしい」ってゴロ合わせを何年か前に教えられて、うんうん成程々々と頷け、オレの拘りと期せずして一致してるやん。 オレが毎日絶対摂取する物を起きた時から列挙すると 起きて直ぐに水、その水もニガリと黒酢を薄めたものか、粉茶を入れたもの。 ニガリ、黒酢は言うまでもなくお茶は本体の葉っぱに体にエエもんがいっぱいあんねんやなぁ。 お茶はコレステロールとか癌にはエエようで。
で、正午までは固形物をいれない。 牛乳と蜂蜜そして濃い珈琲をたっぷり。 牛乳はオレの長男に言わせると日本人の体質に合わへん良くない飲み物やそうなんで、牛乳に含まれているカルシュームも日本人の体質には摂取できないとか、とは言え、好きやからオレは飲む。 ウイスキーのミルク割り、焼酎のミルク割りと酒の友でもあったりして。 信州木島平村の中沢牧場の絞りたての牛乳は格別に美味い。濃度が合ってコクがあって口の中でとろけて絡み付いてくる美味さは、工場で精製された希薄な牛乳とは違う。
最近昼は蕎麦を主食にするコトが多い。 精米は一番栄養のある麦芽を落としているので栄養素として欠けているが、蕎麦の麦芽は粒の中に入り込んでいるので食するコトができる。 もっとも米も玄米なら麦芽を取り入れられるが焚くのに面倒と正直美味くない。 蕎麦の汁にオレなりの拘りをいっぱい詰め込む。 おろしニンニクにおろし大根と人参、更におろし生姜。 ジャコの粉末、擂り胡麻、茎ワカメに干し椎茸、粉茶、玉葱の千切りとネギそして生卵。オクラとかモロヘイヤに山芋のヌルヌルもエエねん。 イヤやけど嫌いやけど時には体のタメと納豆も加える。 酢と黒砂糖少々に醤油、昆布と粉末ジャコで味付け。決して市販の「つゆ」は使へん。 蕎麦の上には刻み海苔。 ま、質素ながら一食にこれだけを食べる。 量は少ないが栄養のバランスと体に良い物がいっぱいやねんな。
肉は殆ど食わない。 特に牛肉は皆無と言える。それでもホルモンは別格になっている。 魚はまぁ、どんな魚も好きで、生の魚介類には目がないんやけど、昨今値が高い。それで鰯、鯖、秋刀魚に限られてくる。 オレの拘りは喰いたいモノなら高価を承知で喰うとかは絶対しない。 目の前にある物で貧乏人のオレにあった低価のモノや季節の物。
グルメとかの言葉が横行してとかく日本人は世界を食い荒らしている。 で、マグロ、海老とか海の幸が激減してきて大変やと言う訳やけど、マグロも海老も別に食わんでもエエやん。 鯨も諦めたらエエ。 かと言うて捕鯨に反対は欧米の屁理屈とは一致しない。 高等動物やから食べたらアカンなんて勝手なコトをホザク白人の馬鹿野郎め。 高等やから食わない、下等なら食ってエエ。 思い上がったこの考えに差別の根源があると思うオレであって、それを更に他へゴリ押しに押し付けるなんぞは許しちゃぁおけねぇやと、何故か遠山の金さん。
海岸に近づいた鯨を何十艘の小船を繰り出して一頭をやっと捕獲していたかつての日本の捕鯨時代の頃、欧米では帆船を繰り出して世界を巡り油だけ求めて捕鯨に走り、その拠点作りにエスキモー(イヌイット)の集落を壊滅させたりもして来て自分たちの都合だけで世界を支配しようとする。許せねぇ。
日本の本格的な捕鯨も敗戦後、占領軍のマッカーサーが敗戦で飢えに苦しんでいる日本人の食料獲得のタメ、船団を組んで捕鯨するコトを命じたという。 で、日本人は油だけ採って後はポイ捨てのアンポンタンなことはせず鯨の全てを利用する知恵と合理性があった。
白人が主食のように食う牛が下等動物なんとちゃう。 信州木島平村で仔牛を飼って分かったことは、牛は犬よりも賢い動物で色んなことを学習できるんや。白人とは自分達が食うがタメ下等と決め付ける横柄な輩なんや。
もし、日本が白人なら原爆は落とせへんかったやろうし、朝鮮が白人やったら朝鮮戦争も果敢にやってなかったやろうし、ベトナム、アフガン、南米、アフリカ、イラク等も然りなんや。
あれあれ、またまた話しが大きく逸れましたな。 逸れついでにね、んで、オレが何で鯨を諦めなはれと言うか、 昔、どこかの教授が人間は本来自分の手で捕まえられるモノしか喰ったらアカンて説いていた。 動物なら鳥、ウサギ、狸とか魚貝類。木の実に果物、野菜とまあこんなところ で、その教授の昼飯は木の実だけと机の引き出しには何種類もの木の実が詰まっていた。 オレはすっごーくこの説に惹かれたって訳で。 そう言うコトもあって牛とか鯨もイカンやろうと思うんやけど、ああ鯨のベーコン食いたい。ビールの肴には最高なんすが、諦めましょう。
140個の弁当、弁当。 唐揚は油を使う唯一妥協の料理。それでもコラーゲンありニンニクもタップリ。 鯖は青みの魚は美味いし体に良い。厚焼き玉子にはネギ、人参、干し海老、干し椎茸。菜の花には擂り胡麻。糸コンには薄アゲ、人参、干し椎茸、ヒジキ、ピーマン。 料理は9種類なれど使われた食材はえーと、ん、 たまご、ポテト、ネギ、玉葱、大根、人参、ピーマン、菜の花、鯖、鶏、ニンニク、ヒジキ、茎ワカメ、黒豆、干瓢、昆布、ブロッコリー、高野豆腐、干し椎茸、干し海老、胡麻、梅干、米、コンニャク、切干大根。 調味料に黒砂糖、酢、醤油、塩、ジャコの粉末。 何か忘れてるモンがあるみたいやけど、まあざっと30種類。 人は一日に30種類を食するのが理想的とかを実践してみた訳で。 ただ、不本意なのは、何種類かは冷凍食品であって、しょうがないんやな。 |
| 固定リンク |
トラックバック:0 | レス:642
(2007/07/22(Sun) 18:17:12) |
| 盛況に終わった楠元なおこJazzVocalLive |
予定の全ての曲は演奏されあらためて奏者紹介をと、ヴォーカルの楠元なおこが始めだしたら 「私にも喋らせて」ナオちゃんの直ぐ前、お客の最前列の一女性がスクッとたってナオちゃんの言葉を遮り喋りだした。 ベースの石田裕久を紹介しかけた矢先のコト。 石田裕久は優しく笑顔でその女性を向かえ、ナオちゃんはマイクを彼女にさも楽しいそうに笑顔で渡した。
大阪のとある病院の仲良し仲間。 昨年は信州木島平村の再建中の山荘現場へ二泊三日約10人が大挙して やってきた。以来、私とは大の仲良し。 カラオケ演歌が大好きな大阪のオバちゃん達。 私と仲良しというコトでaccoのピアノ.ソロ.ライブを熱心に勧誘した。 全員と仲間を増やして来てくれた。 深層の懐かしいモノを誘い出し、眠っていた優しい情念を呼び起こすaccoの癒しの旋律を誰しも体内に取り込んで静かに聴いていた。
で、また、ジャズヴォーカルのナオちゃんのライブにも勧誘した。 やはり、全員が来てくれた。 accoとはガラッと模様が変わった。 始めっから掛け合いの乗りまくり。 小さな空間でのジャズライブ、特にヴォーカルは奏者と観客がイェイイェイと掛け合い盛り上がっていく楽しさがある。 accoに見事にはまり感動し、ナオちゃんとも見事に融合したオバちゃん達仲間の殆んどはライブというものを森の部屋で二度目の経験。 それだけに、どちらも新鮮に受け入れたのか。 観客の乗りに楠元なおこも盛り上がった。 曲の合間のお喋りも楽しく、アルコールもドンドンはけていった。
「私は、こんなライブを初めて聴きました。それでホンマに楽しかったです。こんな楽しい思いをさせてくれて本当にありがとう」 マイクを握り締めて真剣に表現するKちゃんは私と同年のオバちゃん。 涙が出てきた。爆笑と拍手で渦巻く森の部屋。
ジャズライブを聴く何か暗黙のルールがあって、そのルールに乗って楽しむ。日本のライブシーン。 私がロサンゼルスのライブハウスを訪ね歩いた時はこんなハプニングは当り前だった。 Kちゃんの失われない純粋さがaccoにも素直に感動し、ナオちゃんの声とキャラに当り前のように乗って行った。 かつて、数多くジャズライブを手がけてきたが、こんな素晴らしいのは今までなかった。
次の楠元なおこJazzVocalLiveは 10月28日(土)です。
|
| 固定リンク |
トラックバック:0 | レス:3714
(2006/07/11(Tue) 22:24:35) |
|
| 次のページ |
|